てるてる坊主
083:雨垂れ)

 

 

雨が降ると、つい、この季節外れの歌を口ずさんでしまうのは、頑是無い幼子だった頃からの癖だ。
ポタン、ポタと屋根を伝って地に落ちる雨音を拍子に歌い、手を動かす。まるで何かの儀式のように手近にあったティッシュ箱から白色のちり紙を三、四枚引き抜いて膝上にのせる。薄い上質のそれは、蝶の如くひらひらと空中で舞って山吹色の着物の上に降りてきた。膝上にとまったちり紙が今度は大地に咲いた純白の花のようで、蝶から花へと美しく変化する事に幾松は暫し見惚れて逡巡したが、こんなに綺麗なのにごめんね、と苦笑して、そっと花弁を摘むようにくしゃり、とちり紙を丸めた。
歌を口ずさみながら丸めて、歌の終わりと同時にポンと投げる。すると雨足が強くなったのか外からサァという音が聞こえて、幾松は窓に目をやった。降っているのか、いないのか霧のように細かな雨だった筈が、少しばかり通常の雨の様相を呈してきている。急がなきゃ、風邪をひいてしまうわ、と呟いて、また歌いながらティッシュ箱に手を伸ばす。今度は一枚とってひらり、と丸めたティッシュに被せる。あとは、ゴムで結ぶだけだ、とその首の所を摘まんで輪ゴムの入った箱に手を伸ばそうとしてやめた。
じっと、手の中のそれを見つめて、ふ、と笑うと艶やかな髪に手をやり、その金糸の髪を結わえている花葉色のゴムをはずす。そして、そのままそれを摘まんだ部分にグルグルと結わえた。制約を解かれた髪はさらり、と自然の法則に従って落ち、幾松の蝋のように白いうなじを惜しむかのように覆い隠している。
幾松は出来上がったそれを満足そうに手の中で遊ばすと、よし、と呟き、髪を手櫛で軽く整えながら立ち上がった。立て付けの悪いガラス戸を音をたてて開け、するりとベランダへ出る。
雨足は依然弱まる事無く、シトシトと降り続いている。穏和で気の長い雨雲のようだから、きっと一刻やそこらでは止まないだろう。気の短い雨雲なら良かったのに、と雨雲を見上げて幾松は嘆息する。それならばあの人はそう濡れなくて済むのに、と出来上がったばかりのそれに目を落とす。
てるてる坊主、晴天を願う人形。その由来は古いらしいが、ちり紙数枚で天気が変化するとはなんて安いまじないだろう。否、安いからこそのまじないなのか。
そんな他愛のない事を想いながら人形を空いている洗濯バサミで吊るす。吊るされたてるてる坊主は雨風に吹かれて大きく揺れた。それで気付く。
いつの間にか風が出てきていたらしい。季節柄、少し肌寒い風だ。雨足も心なし強くなってきたように感じて幾松はあぁ、やっぱり風邪をひくわと顔をしかめた。

しかめ面をしたまま、そっと視線を周囲に動かす。このベランダからはそぼ濡れる家の壁と瓦屋根しか見えないが、ほんの僅かに往来が見える。雨だからか、往来に咲く傘の花は少ない。だからこそ良く見える。往来の向こう側、向かいの店の前に。僧形の男が座している。
顔は笠で見えない。けれど顔見知りの男であろう事を幾松は知っている。
一週間の半ばのこの日、必ずこの男は現われるのだ。幾松の身の安全を確かめる為に。

彼の男に出会ってから数ヶ月。静かに現われ、静かに座る男と幾松は言葉を交わすことも、視線を交わすことすらなかった。知り合いなのだから良いではないかとも思うが、男が何故か自らそれを禁じているような節もあり、幾松自身も無理強いしてまで特に望むわけでもなかったから、互いに沈黙を守り、見て見ぬ振りをしている事を良しとしていた。だから、男が現れる日はただ、細く開けた窓や扉から、ちらりと男の姿を確認する。それがいつのまにか幾松の習慣となっていた。
酷い天気だというのに、今日もまた律儀に道端に座るその男の肩が、途切れる事無く天から降り注ぐ雨で遠目にも分かる程に濡れている。よくよく見れば、袈裟の色も重く変色してきている。
それを見た幾松は、は、と息を吐いて、頬を緩めた。しょうがないわね、このままだとホントに風邪をひいてしまうもの。またそう呟いて、つんと人差し指でてるてる坊主を揺らし、階下へ向かうために部屋へと戻る。
風邪をひかせてしまったら夢見が悪い。だから、今日ぐらいは良いだろう。
呆れるような微笑を浮かべた唇から、自然とまた懐かしい歌が零れ始める。
雨が上がれば、あの男そっくりの顔でもてるてる坊主に描き入れてやろう。幾松はそう思いながら階段を降りていった。

 

 

 

 

ずっと言い訳を探してた。