一目でも姿を見ることが出来るのなら。

それが、それこそが至上の幸せ。

 

 

013:深夜番組

 

 

ラーメン屋の朝は早く、夜は遅い。

そう流行ってはいない北斗心軒でもそれは、同じ事。

営業を終えて片付け、明日の仕込み、と細々とした事に追われていると

直ぐに夜はふけてしまう。

 

「・・ふぅ、やっと終わったねぇ。」

ラーメン椀をしまう棚の戸を閉めて幾松はうんと伸びをした。

前掛けをはずして耳を澄ます。

が、聞こえるのは遠い犬の吠える声と微かに吹く風の音のみで、

あたりは静寂そのもの。

 

―・・そりゃ、そうか。

時刻は真夜中。月は冴え冴えと静まりかえった街を照らし、

その光の届かぬ家の中で人々は深い眠りについている。

今はそんな時刻なのだ。

耳を澄ますことでそれを実感し、思わず溜め息をもらす。

フウ、と。

 

(寂しい)(いや、寂しくない)

(否・・・)

寂しい。

0と1では差がありすぎる。

あの男が去ってようよう二週間、まだ二週間だ。

店に一人でいる事には既に慣れきっていたはずなのに、こんなに店は広かっただろうかと思う。

たった数日の間の絆。しかも憎いはずの攘夷志士の男。

それなのにいつの間にか、あの男は居座っていた。

この店にも。そして・・・。

「・・・馬鹿馬鹿しい」

腹立たしげに呟く。

けれど精々強がったつもりではなった言葉は思ったよりも弱弱しくて

声は誰もいない店に虚しく響いた。

“馬鹿馬鹿しい”そうは思っても。

たった二週間で傍に誰もいない寂しさに耐えられなくなってしまっている。

“会いたい”と、それで無ければ一目だけでも・・・そう思ってしまっている自分がいる。

相手があの人とは違って、この世に存在しているのなら尚更。

 

「今頃何やってんだろうかねェ、桂センセイは。」

 

店の鍵を閉めながら、そう言って、

人形のように端正な、けれど無表情なその顔を思い浮かべて思わず笑み零れる。

会えないなら、一目だけでも。それが無理なら思い浮かべるしか手は無い。

きっと、彼はこの国を救う為に奔走してるんだろう。

目の前で倒れている人間に手を差し伸べているんだろう。

この街のどこかで。あの無表情な顔で。

その場面がありありと目に浮かぶようで、クスクスと笑いながら自室へと繋がる階段を

上がっていく。

「さて、と。」

パチリ。

自室の隅に据えてあるテレビの電源を入れる。小さく古ぼけたテレビだが少し立ち上がりが遅い程度で

キチンと写るから優れものだ。

そのテレビで、眠る前に少量のビール片手に少しばかり深夜番組を見るのがラーメン屋になってからこっち

目下の娯楽兼日課になっている。まぁ、女として少々哀しいものがあるが。

「ん、おかしいねぇ・・・」

飲みかけのビールを置いてゴソゴソとテレビににじり寄る。

何故か少しいつもより画面の立ち上がりが遅い。

嫌だねぇ、などと呟きながらポンポンとテレビを叩くと、

ザ、と画面が歪んでゆっくりと音と画面が立ち上がってくる。

ゆっくりと。ゆっくりと。

音量は小から大へ。画面はおぼろから鮮明に。

そして。

 

『今日のペット自慢!』

 

どがっしゃぁっ。

ブツケタ。思いっ切りテレビの角におでこを。

「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」

ぶつけた衝撃で目の前をチラつく星と飛び回る天使を無理やりに捻じ伏せて、

目の前の映像にかじりつく。

ブラウン管の中には。

女の誰もが羨んでやまぬような艶やかな黒髪の、

さながら人形のように綺麗な、

それでいて無表情な顔の、男。が。

女の格好をして。これでもかと言う程の不遜な態度で佇んでいた。

それは言うまでも無く、忘れるはずもない・・・。

 

「カツラぁぁぁっ!!??」

あの男だった。

どういう事よ。どういう事なの。頭が混乱したままで画面を凝視し、また混乱する。

あの男・桂小太郎は攘夷派浪士として幕府に追われる身なのではなかったか。

世を忍んで生きていかなければならぬ身なのではないのか。

だのに。だのに今、この男は・・・。

自分の飼っているペットを余すところ無く自慢しまくり己のペット馬鹿ぶりを

世間様に披露する趣旨の番組に堂々と出ている。

しかも無表情で「結構、可愛いだろう?」などと言っている。

はっきり言って馬鹿だ。大馬鹿だ。気が抜けた。気が抜けついでにズルズルと床にへたり込む。

その間も画面は賑やかに流れ続けている。

「・・・まったく」

ジッと画面を見つめ続けて、笑う。というか苦笑した。

「何やってんだかねェ、桂センセは。」

クシャクシャと下ろした髪をかきあげて、飲みかけのビールに手を伸ばす。

色々心配することはあるけれど。

きっとあの男なら大丈夫だろう。自分なんかが心配するこっちゃない。

だから今は、こうして。

 

「なかなか元気そうじゃないか、ねぇ?」

ビールなんかを飲みながらこの大馬鹿男を飽きるほど見ている事にしよう。

そう、決めた。

 

 

《了》

初ヅラ幾。好きだけど難しいね。

少しでも、ほんの僅かの時の間でも

君と一緒にいたいから

君の目に映っていたいから

君の好きそなお土産持って

今日も君を待ちましょう

 

005:釣りをするひと


定春を連れて神楽はいつもの散歩コースを今日もたどっていた。

いつもの公園。

いつものお店。

いつもの路地。

そしていつもの川岸の土手を通って帰る。

今日も土手下を流れる川はいつもと変わらずサラサラと音をたてて流れ、

水面はキラキラと光を反射して輝いている。

いつも変わらぬその風景を赤い番傘で影を作りながら眺めるのが神楽は好きだった。

なのに、橋の少し手前でいつもとは違う黒い制服を見付けてしまったのは如何なる事か。

 

「オイ、そこで何してるネ優男。風景をお前の腹黒さで汚すんじゃないアル。」

そう言って土手に寝転がっていた黒い制服の少年の頭を蹴る。

こいつは自分と引分けるほどの実力を持っているし、こ憎たらしい奴でもあるから全力で蹴っても

罰は当たらない。だから遠慮なく全力で蹴った。

なのに、足は朝日色の頭にあたる事無くパシリと少年の手にさえぎられてしまった。

神楽は不快とでも言うように眉を寄せる。

酷いでさぁ、お嬢さん。そう呟きながらも言葉とは裏腹に笑って少年は起き上がり草を掃った。

「風景を汚してるからネ。お前ここで何してるカ?」

「釣りでさぁ。」

見て分かりやせんかい?と沖田は肩をすくめる。

「全く分からないネ。魚釣りの道具なんてどこにあるカ?」

キョロキョロと沖田の周りを見渡すがあるのは草ばかりで、竿も針も、糸の一本さえ見当たらない。

「馬鹿ですねぃ、お嬢さんは。釣りってったって釣るのは魚とは限らねぇでしょう?」

「じゃあ、何を釣ってたアル。ザリガニか?ここはザリガニ釣りには少し深いネ。場所変えした方が身のためヨ。」

不快そうに寄せた眉を更に寄せながらシッシッと犬をはらう様なジェスチャーをする。

それを別段気に留める風でもなく沖田はニヤリと笑いながら

「いや、この場所が良いんでさぁ。ここが一番の釣り場でねィ。」

と言った。

「一体何を釣っているアルカ?」

「とても大きい獲物でさぁ。」

「それじゃ分からないアル。」

問うてもはっきりと答えない沖田にいつのまにかちょこんと隣に座った神楽はプゥッと頬を膨らませる。

その様子に沖田は眩しげに目を細める。

「ヒント!!餌は何ネ?」

「これでさぁ。」

ゴソゴソと制服のポケットを探って取り出したのは見慣れた赤と緑のパッケージ。

つまり、酢昆布。

 

「・・・私、釣られてしまったカ。」

「そういう事になりまさぁ。」

 

<了>