不埒な輩には平手か拳か

 

濃い緑の頃を過ぎ、色を変えて首を垂れる草叢には、姿は見えねども涼やかに相手を求める声音が響く。萩に薄(すすき)のふれあう音に、落ちた葉の擦れ合う音も相俟って、秋の夜の儚さと哀しさは一層増していく。

ちんちろ、ちんちろと松虫の音色が足下から聴こえて、綺麗な唄声にやはり夜の公園に来て良かった、と幾松は頭の片隅で満足に思う。だけれども、この状況に於いてはこの様な情緒溢れる場所など矢張り歓迎できるものではないと思い直す。

頬に固い爪が軽く触れるのを意識して、幾松は固まった。目を上げれば夜と同じ色をした髪とその向こうの、やや熱を帯びて潤んだ瞳が見える。近い。互いの呼気が触れ合うほど近くに、端正な顔がある。

「ちょ・・・桂?」

「幾松殿、接吻とは愛し合う男女の倣いだ。その様に恥ずかしがる事はない。」

「誰が恥ずかしいか!って違う。ちょっと・・・話を聞け!」

「誓いの熱い抱擁を・・・いざ。」

「いざ、じゃない!」

言葉による抵抗を諦め、何とかこの状況を打破すべく身じろぐが、悲しきは男女の筋力の差か、優しくもしっかりと抱き込まれた体は少しも動くことは敵わなかった。そうしている間にも唇の距離は詰められていて、これまでに無い距離に動悸が激しくなる。恥ずかしくないと言いながら、おぼこ娘のように体は火照り、顔を覆いたくなる衝動に駆られる。

こんな事になってしまったのは紛れも無く自分の所為なのだけれど、桂を詰って泣きそうになる。

秋の夜の切なげな雰囲気は魔物でも潜んでいるのかもしれない。雰囲気に惑わされてほろりと不用意に零した一言で、ひた隠しにしてきた幾松の心は簡単に知れてしまった。そうして、早くもこの様な状況になってしまったのだから後悔の一言に尽きる。

「幾松殿・・・」

「桂・・・ちょっと・・・」

諦め半分、期待半分でもう一度言葉による最後の抵抗を試みるも、秋の虫の求愛行動に唆された男は止まらない。普段から思い込むと猛進し、世間の情報など耳に入りにくくなってしまう傾向のある男だと思っていたものの、この状況でその傾向を遺憾なく発揮されると多分に困る。幾松にも事情という物があるのだ。心の準備だとか、そういう類のものが、それはもう色々と。幾松も一時は現役から身を引いていたとはいえ、女なのだから。

なのに、制止の声も聞かずに甘く暴走する男に、幾松は少し腹を立てる。唇と唇の距離は既に一寸にも満たなくなっている。何度も制止の声を上げた、人の話を聞けと促がした、態度にだって表した。それでも男は止まらなかったのだ、それならば取るべき手は一つだろう。

古来、人の話を聞かぬ男の末路は決まっている。昔話然り、童話然り。それがたとえ相手が恋しい男だろうと関係ない。これが相場というものだ。自業自得、因果応報、そして正義の鉄槌だ。幾松は握り拳を大きく振り上げた。

 

 

きっかけは幾松、先走ったのは桂。うちの幾松は平手よりも拳だったみたいですよ(笑)

あの端正で表情の出ない顔に平手の痕を残してやりたい気もしますが、あえて拳ですね。
桂の言動が恐ろしく恥ずかしかった・・・。でもそれをクソ真面目に言うのが桂の桂たる所以だと思う。